モテる男になるためには卑屈さは最大の敵
モテる男になるためには自信は最大の武器となります。
自信は持てるようになると、内面はもちろんのこと、
外見や振る舞いすらも大きく変わってきます。
まるで人間が生まれ変わったんじゃないかと思えるくらい、
自信は人を変える力があります。
自信が最大の武器ということは、
その逆は最大の敵ということになります。
では、その逆とは何でしょうか?
それは「卑屈さ」ですね。
「卑屈さ」というのは、モテるための最大の敵なのです。
卑屈さというのは謙虚さとは似て非なるものです。
というよりも、全然違ったものです。
卑屈な男というのは、絶対にモテるようにはなりません。
女性からすると卑屈な男ほど頼りなく、情けなく、
一緒にいて話をしているだけで嫌になる男はいません。
自信過剰な男性も女性から敬遠される傾向にありますが、
卑屈な男に比べたらマシに思えるほどです。
自信過剰な男性は嫌われることもありますが、
それでも意外とモテたりするものです。
極端な話、10人中9人に嫌われても、
確実に1人はハマるほど好きになる女性がいるのが自信過剰な男性です。
実際は1人ではなくもっと多いかもしれませんね。
一方、卑屈な男性の場合は、まずモテることはありません。
自信過剰な男性のように10人いたら1人は好きになってくれるということもありません。
10人中10人からモテないでしょう。
まぁ稀になぜかダメな男ばかりに惚れてしまうというダメな男好きな女性がいて、
そういう女性からモテるかもしれませんが、それは例外中の例外でしょう。
それほどまでに卑屈さというのは、害しかもたらさないのです。
卑屈さの癖はもう捨てましょう
「俺はモテない男だから」
「俺なんてイケメンじゃないし」
「俺のこと好きになってくれる女なんていないでしょ」
「どうせ俺なんて自慢できるようなこと何もないし」
なんか、こんなことを口癖のように言う男性がたまにいます。
「そんなことないよ!」とでも言って欲しいのでしょうか?
申し訳ないですが、そんな自己卑下をされたって、
誰も慰めようとも思わないですよ。
誰も慰める義理なんて持ってないですよ。
慰めの言葉を言って励ましてくれる人がいるとしたら、
それはあなたの母親くらいです。
世の中の女性はあなたの母親ではありません。
慰める義務もないし、卑屈さを受け止める義務もありません。
言い方は悪いかも知れませんが、所詮そこは他人なわけです。
そうなったら、ただあなたから離れていくだけです。
「あなた」と書いているのは、あなたが卑屈な男だと言っているのではなく、
便宜的に書いているだけですのでご了承ください。
でも、意外なほどにこのような卑屈な男性って世の中には多いんです。
卑屈さというのは癖になります。
一度その癖が付いてしまうと、自分では意識しないとなかなか気づかなかったりします。
もし言葉の中に「自分なんか」「俺なんか」って言葉が増えてきたら、
自分を貶すために人と比べるようになったら、
わざと同情を引こうとすることが多くなったら、それは卑屈さのサインです。
その時は意識的にグッと自分で言葉を飲み込んでください。
決して自分に卑屈さの癖を付けないようにしてください。
謙虚さというのは確かに必要なものです。
謙虚さがあるからこそ人は学び成長し、より魅力的な人間になっていくことができます。
でも、謙虚さが行き過ぎて卑屈さになるくらいだったら、
謙虚さなんて捨ててしまった方がいいくらいです。
極端かもしれませんが、実際そうなんです。
それくらい卑屈さというのは、足を引っ張る存在なんです。
卑屈さを受け止められるかどうかは愛情残高によります
とはいえ、人間、完璧な人なんていません。
時には慰めてもらいたかったり、同情してもらいたかったり、
「大丈夫だよ」と背中を押しもらいたかったりしますよね。
人間である以上、それを絶対するなというのも無理な話でしょう。
そういった一時的な卑屈さを受け入れてくれる条件というのがあります。
それは愛情残高です。
愛情なんてものは数量で図るものではないかもしれませんが、
ここはあえて残高という量的な言い方をさせて頂きます。
愛情残高というのは、言ってみれば貯金みたいなものです。
愛情の貯金ですね。
逆に、卑屈さというのは、貯金を引き出すことであったり、借入のようなものになります。
卑屈さを受け止めてもらうことは、貯金からお金を引き出すのと同じことです。
引き出す分だけの貯金があれば、引き出すことができます。
でも、貯金も無限にあるわけではありませんよね?
貯金がゼロになり、更にお金を引き出そうとしても引き出せません。
愛情残高もこれと同じです。
愛情の貯金があるうちは、多少の卑屈さは受け入れることができます。
しかし卑屈さを受け入れるたびに貯金は減っていきます。
そしていつか愛情残高がゼロになった時、卑屈さを受け入れてもらおうと思っても、
「もうコレ以上は無理!」となってしまうのです。
そうなった時に、女性はあなたから離れていきます。
ですから、付き合っている彼女や奥さんのように、愛情残高がある関係なら、
愛情残高の範囲で卑屈さを受け入れることができます。
しかしそれも限界のあることで、愛情残高がなくなった時点で終わりを迎えてしまうのです。
なぜ母親は無限のように自分の子供の卑屈さを受け入れられるのか?
それは親と子の間には、無限の愛情残高があるからなんです。
親子の愛情、特に親が子に持っている愛情というのは無限のものがあります。
それほどまでに親の子に対する愛情って深いんです。
だからどんなに卑屈さというもので貯金を引き出しても、
愛情残高が枯れることはありません。
でも、他人はそうはいかないんです。
どんなに愛している彼氏や旦那が相手でも、愛情残高には限りがあります。
それを母親と同じ感覚で引き出してしまえば、いつか愛情残高が枯れてしまうのです。
特に初対面の女性、知りあって間もない女性、
彼女でもない女性の場合、あなたに対する愛情残高がゼロの状態です。
全く貯金がないですから、卑屈さなんて受け入れられるわけがないんです。
だから、卑屈さというのはモテの最大の敵なんです。
卑屈さというのは彼女や奥さんなどの愛しあった関係(友人関係にも多少はありますね)、
愛情残高がある関係だから許されることなのです。
人間生きていれば色々ありますから、
時には泣き言を言ったり、自分を卑下して慰めてもらったりしたい時もあるでしょう。
彼女に対してならそれもアリだと思います。
でもそれは愛情残高の範囲内だけです。
自分と彼女の間に愛情残高がどのくらいあるだろうか、
愛情残高が枯れるくらい引き出そうとしてはいないか、
そういうことを頭に入れておいてください。
ちなみにこれ、男性に限った話ではなく、
女性に対しても同じことが言えることでもあります。